岳林寺
上糠田邑岳林寺記によると、源頼家公に仕えた佐藤信季は、公の没後当地に来て定住し、傍らに勢至菩薩を安置する庵を結び、また、羽山、小鋪(こしき)、山神、稲荷の四社を東西南北に勧請して鎮護としたとあります。その頃、たまたま臨済宗の恵日和尚がこの地に留まって禅道を教え広めました。そこで旧庵を改築して「東照山慧日庵」と名づけました。時は嘉禎二年(1236年)のことといいます。
信季の後裔信貞の時、上ノ坊にあった「月花山中福寺」が衰微して無住寺となり、壇徒も離散してしまったので、これを壇家に誘い、元亀三年(1572年)に寺院を建立、東源寺五代心安春悟禅師を請うて開山第一祖とし、寺号を岳林寺としました。
その後、慶長の頃、信季の十五代の後裔彌五郎信方のとき現在の地に寺院を建立しています。現住持は心安春悟和尚以来二十一世となります。
寺院は、宝暦十年二月、天明八年、明治十三年五月の火災により全焼、古記録のほとんどを失いました。現本堂は明治十四年の再建になるものです。(「ふるさとの小径をゆく」より)