御幸山十一面観音
月舘の西方に連なる七森の北端の峯が観世音堂及び羽山神杜の奥の院を祀る御幸山(476メートル)です。山名は五幸山・御光山等記録によってまちまちですが、梵鐘銘には五幸山と刻まれています。
この観世音堂は、恒武天皇の御代に坂上田村麻呂将軍東征の際開山し、御本尊の十一面観世音菩薩(高さ八分=2.4センチ)は大同二年慈覚大師の御作と伝えられています。以来当地方の山岳信仰の中心となってきました。信達一統誌には「観音堂小手郷順礼札所、本尊十一面観世音、御光山と云ふ所に安置す 本堂三間四面、側に釣鐘有り、天明七年未十一月十七日建立」詠歌に「鐘の声またきに人を驚かす御光の峯に朝日かがやく」と記されており、当時から堂宇の整っていたことがわかります。
観世音堂の天井は格天井で裏板にはみごとな絵がかかれているほか、堂の内外には奉納の扁額や絵馬も掲げられています。堂の裏手には鐘楼があり、前述の梵鐘は宝暦六年(1753年)の大火で焼破、二代目は太平洋戦争時に献納、現在は三代目になります。また、足尾神杜には巨大なわらじも奉納されています。
さらに、頂上へ20メートル進んだところにある御神水=おみだらせには、米包の沈み方をもって吉凶を占うならわしがあります。(「ふるさとの小径をゆく」より)
御代田地区十一面観音の春の祭礼。氏子衆が御幸山の頂にある観音堂に赴き、五穀豊穣を祈願します。地域の方々による炊き出しもあり、地元の祭礼として根付いています。