下手渡藩の歴史
下手渡藩は、九州三池藩が文化3年(1806年)に10ヶ村1万石をもって移封されて月舘町下手渡に陣屋を開き、以来明治元年(1868年)の三池転封まで、63年に渡り伊達郡南部を治めました。
下手渡藩二代目藩主・立花主膳種温は、天保の飢饉の際領民の救済に尽力し名君としたわれ、三代目藩主・立花出雲守種恭は幕府大番頭、若年寄、外国事務官掌を命ぜられるなど幕府の若くして要職についたことで知られています。
戊辰戦争と下手渡
戊辰戦争のとき、県内のほとんどの藩は仙台藩を盟主とする反西軍の奥州列藩同盟を結んでいました。しかし当時、下手渡藩の本家である柳川藩は西軍側にあって東征を進めており、下手渡藩は大変難しい立場にありました。
奥羽列藩同盟に加盟したものの、下手渡藩が反西軍として出兵しないため、かねてから藩に疑いの目を持っていた仙台藩は下手渡陣屋を襲いました。その際下手渡藩陣屋は焼失し、石垣が一部に残るのみとなってしまいました。現在の下手渡藩陣屋跡には、元藩士によって「懐古の碑」が建てられており、そこに立派な陣屋があったことを今に伝えています。(「月舘町史」「ふるさとの小径を行く」より引用)