月舘の遺跡

つきだて地域で縄文時代の遺跡は数多く発見されていますが、調査を実施した遺跡が少ないため、地域の縄文時代の様子はまだ明らかになっていない部分が多くあります。つきだて地域で主に調査がされている縄文期の遺跡は「わくノ内遺跡」と「西原遺跡」です。土器のほかにも竪穴式住居跡や炉などが発見されています。

img_jomon1.jpg 縄文時代中期の遺遺跡「わくノ内遺跡」。二棟確認されたうちの一棟で発掘作業が実施されている。床面には複式炉が建築されている。(複式炉は東北地方南部に特徴的な炉の一種。)

 

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縄文土器は、始めは煮炊き用の深鉢であったが、その後バラエティに富んだ形のものが作られる。煮るという調理法の獲得は、食糧となる対象を広げ、煮沸によってアク抜きする技術を獲得し、身近でたくさん採れるドングリ類を食糧とすることができたのである。

(月舘町史より引用)

「月舘」の地名の由来となったのは、「月見舘」と呼ばれる館があったことに由来します。つきだて地域には城館に関する伝説が多く残されており、今でも語り継がれています。

 

つきだて地域には現在、25の城館跡と、城館跡に類似した6ヶ所の遺跡があります。南北朝内乱期から造成され、町の変わり行く歴史に果たしてきた役割は大きいものです。その多くの城館の造成された中世は、文献の少ない空白の時代であり、その城館跡を分析することでその空白を探り読み解くしかありません。

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月舘町の由来ともなった月見舘跡全景。 南北朝時代の武将 北畠顕家に仕えた手渡八郎の伝説が残る舘山城跡。

(「月舘町史」より引用)

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